デジカメ時代前の写真です。ぼちぼちスキャナーで取り込んでいく予定。


70年代は雷魚釣り 磐田市の今之浦にて。よく東海道線に揺られて皆でいったものですわ。この今之浦用に生まれて初めて購入したプラグが黄色に黒い点が入った「ジッターバグ」。しかし、使い方が良く判らない上に、一番小さいサイズで飛距離も出ない、、魚の真上に投げちゃってしょっちゅうポーン、ポーンと雷魚が驚いて逃げちまう、、それでナツメ錘を付けてわざわざ沈めて引いてた事もありました。磐田くんだりまで行って、、もちろん釣れるはずもありません。そのうち、上級生たちはダイワの「バルサミノー」というルアーでバンバン釣っている事がわかり、それを真似して釣ったわけです。その後、「ジッターバグ」でも何とか1尾釣り、写真を撮って、ルアーのパッケージの裏の米国オハイオ州アーケロンの「フレッドアーボガスト社」の社長宛に「釣り自慢」の手紙と共に送りました。そしたら1ヶ月位してから社長のディック・コティスさんから返事が来ました。写真は返送されていて、確か「あなたは良いつりをしていますね。写真はお返ししますから大事に取っておいてください。わが社の製品でいっぱい釣ってね」というような事がタイプしてあり、最後にDickと自筆でサインがしてありました。残念ながらその手紙は何処かに紛失してしまいましたが、極東の島国の子供の拙い英文によく返事をくれたものです。それ以来私が「フレッドアーボガスト社」の大ファンになったのは言うまでもありません。ジッターバグ、スパターバグ、フラホッパー、アーボガスター、素晴らしいプラグで、発売後数十年経った今でも今も色褪せてない名品だと思います。竿はダイワの「サンスピン」リールは大森製作所の「タックル5NO.2」でした。その後ダイコーの「スピードスティック」とダイワ「ミリオネア3H」に。その後お年玉をはたいて憧れのABUのカージナル33と大使の5000Cを手に入れました。(30年近く経った今でも現役!!)私は無骨なABUが好きでしたが、おしゃれなミッチェル308やガルシアロッドを買う友達も。

81年夏 今之浦川にて。高校野球の応援の行きか帰りに寄った記憶が、、現なに丸メンバーのヒデキ君と。リールは5000C,竿はFenwickのFC−38ですわ。

80年代はバスと雷魚をよく釣りにいきました。精進湖、奥多摩湖、亀山湖、そして琵琶湖、池原。初めてのカーボンロッドはバスメイトで買ったケイロンのBSS-60。

                          1986年 用宗 小坂川で。ウグイ釣りも楽しかったの〜。道具が渋いでしょ。カージナル33にフェンウィックFS-64

1987年 蒲田の「バスメイト」で小型船舶4級湖川小馬力免許取得。バスメイトも旧店舗でまだ「木枠」のガラス戸でした。徳永(弟)さんのガイドでうめさんと初めて東京湾ボートシーバスへ。1尾づつ釣れました。


1990年秋、生まれて初めての遊魚船、そしてシイラ釣り。痺れました。竿はケイロン「ザ・スプラッシャー」、リールは大森製作所の「マイコンウルトラ」リアドラッグモデルでした。

1992年GW 琵琶湖 リブレにて   このころは片浜に毎朝のように通ってました。この年 あべ丸で初めて沼津に出て釣れてしまった2kgのカツオ。ここから海のボート釣りにハマり、、

95年になに丸(旧JFC)進水。沼津で海釣りばっかですわ。でもまだルアーの割合が高かった。


1996/5/27 麻機の沼で雷魚。

2年連続で静岡に村田さんに来てもらいました。                                       並木氏もこのころは若かった、、


ライフジャケットを常時着用して安全で楽しい釣りを!

貴方と貴方の魚を取り込んでくれる仲間の安全の為に、ルアーのフックはトレブルもシングルも例外なく全てバーブレスで!